地域に寄り添い、三世代にわたって親しまれるクリニックを目指して–向中野あらかわ皮フ科 院長 荒川伸之インタビュー
2026.01.28
「患者さまと真摯に向き合い、最高のQOLを届けるために」医療法人社団山田眼科の伝統を受け継ぎ、進化を続ける豊野哲也院長の決意。
医療法人社団山田眼科
院長 豊野 哲也
北海道旭川市にて、地域住民の目の健康を守り続けてきた「医療法人社団山田眼科」。令和7年10月、同院の新たな舵取り役として院長に就任したのが豊野哲也先生です。豊野院長は、東京大学大学院での研究や、世界最高峰の眼科研究所である米国ジョンズ・ホップキンス大学への留学、東大病院の医局長や角膜移植部副部長を歴任するなど、国内トップクラスのキャリアを歩んできました。なぜ、第一線で活躍してきた高名なドクターが旭川の地でクリニックを継承する道を選んだのか。医師を志した原点から、診療に対する熱い想い、そして医療法人社団山田眼科が目指すこれからの未来について、豊野哲也院長にお話を伺いました。
—豊野先生が、最初に医師という職業を志したきっかけを教えてください。
私の父親が外科医だったこともあり、幼い頃から医療が身近にある環境で育ちました。実は子供の頃、「親が医者だから自分も医者になるんだろ」と周囲から見られるのが少し嫌で、別の道を考えた時期もあったんです。しかし中学生の頃、さまざまなスポーツを経験する中で「スポーツドクター」という存在に興味を持ち始め、そこから自然と医学の道を志すようになりました。
—学生時代の思い出で、今の医師人生に活きている経験はありますか?
大学時代に所属していたヨット部での経験ですね。ヨットは華やかなイメージを持たれがちですが、実は海の上でひたすら自然と対峙する非常にタフなスポーツです。特に1年生の頃は、激しい船酔いとの戦いで本当に苦労しました。しかし、あの過酷な環境を諦めずに乗り越えたからこそ、現在の診療や手術に求められる「強い精神力」と「粘り強さ」が養われたと感じています。
—プレッシャーの大きい医学部での勉強において、元々勉強への苦手意識などはなかったのでしょうか。
小学校の低学年くらいまではあまり勉強が好きではなかったのですが、高学年から中学生・高校生になるにつれて、幸いにも勉強に対してそこまで苦手意識を持つことはありませんでした。もちろん、高校時代にはなかなか勉強に身が入らない「スランプの時期」もありましたが、医師になるという目標が定まってからは、それに向けて集中して取り組むことができましたね。
—数ある診療科の中で、最終的に眼科を専門に選ばれた理由は何ですか?
医療の進歩により、多くの病気が手術や薬で治せるようになりました。その中で私は、「命を救うことにとどまらず、患者さまがその後の人生をいかに幸せに生きられるか」というQOL(生活の質)の重要性を深く考えるようになりました。人間が五感から得る情報の約8〜9割は視覚からと言われています。眼科医療、特に白内障手術などは術後に劇的に視力が回復するため、患者さまの「見える喜び」に直接貢献できる点に非常に大きな魅力を感じたんです。
—東京の第一線でキャリアを積まれてきた先生が、旭川の「山田眼科」を継承された経緯を教えてください。
大学病院では最先端の医療に携わることができますが、一方で一人の患者さまをずっと一貫して診続けることが難しい側面もあります。いつかは開業し、自分が理想とする医療を患者さまに直接届けたいという想いが以前からありました。そんな時に、歴史ある山田眼科が次の世代への継承を考えているというお話をいただいたんです。東京には多くの医師がいますが、地方都市では本当に技術を持った医師が必要とされています。「自分の価値を最大限に活かし、本当に必要とされる場所で貢献したい」と考え、旭川への移住とクリニックの継承を決意しました。
—実際に東京から旭川に移住してみて、生活環境や地域の印象はいかがですか?
赴任する前は「旭川の冬は長くて厳しいのかな」と少し身構えていたのですが、実際に暮らしてみると意外とすんなり馴染むことができました。まだ移住して1年ほどですが、札幌や美瑛、富良野の方まで少し足を伸ばしてみたりと、北海道の豊かな自然を楽しんでいます。あとは旭川の旭山動物園にも一度行きました。非常に暮らしやすく、素晴らしい環境だと感じています。
—東京と旭川で、患者さまのニーズや医療環境に違いはありますか?
こちらは完全な車社会ですので、80歳を超えてもご自身で車を運転される方が非常に多いです。そのため、東京のように「近くが裸眼で見えること」よりも、「運転のために遠くがしっかり見えること」を重視されるなど、生活に直結したニーズの違いを実感しています。また、数時間かけて遠方から来院される患者さまも多く、「簡単に、また来週来てください」とは言えない責任の重さがあります。患者さま一人ひとりの生活背景に合わせた治療方針の組み立てが不可欠です。
—日々の診療やクリニックの運営において、最も大切にされていることは何でしょうか。
常に「目の前の患者さまにとっての最善は何か」を考え抜くことです。同じ病気であっても、患者さまの仕事や年齢、生活環境によって求めるゴールは異なります。私自身の独りよがりな医療ではなく、ケースバイケースで患者さまの立場に立ち、心からご満足いただける最適な選択肢を一緒に考えていくことをベースにしています。
—院長が交代されてから、クリニック内のスタッフの皆さんとの連携はいかがですか?
山田眼科には、前院長の頃から培われてきた素晴らしい「患者さまを大切にする文化」がスタッフの間に深く根付いています。私が赴任した当初は、お互いに手探りの部分もありましたが、今では私の手術のペースや診療スタイルを理解し、見事なチームワークでサポートしてくれています。スタッフ全員が患者さま第一で動いてくれる現在の環境には、本当に感謝しています。
—「山田眼科」という歴史ある名前をそのまま残された理由を教えてください。
山田眼科は、30年以上前からこの旭川の地で白内障手術の先駆けとして地域をリードしてきた、非常に信頼の厚いクリニックです。私は3代目の院長になりますが、2代目の先生も「山田眼科」の名前を大切に守ってこられました。患者さまが「山田眼科だから」と信頼して、遠方からもわざわざ足を運んでくださる。その歴史と地域からの信頼に恥じない医療を提供し続けるためにも、この名前をそのまま受け継ぐことに意味があると考えました。
—これからの山田眼科を、どのようなクリニックにしていきたいですか?
まずは、当院の強みである「白内障手術」において、最先端の医療機器を導入し、さらに質の高い精神的な手術方法や眼内レンズの選択肢を提案し続けていくことです。その上で、私が大学病院などで専門的に扱ってきた「角膜疾患」や、まぶたが下がって見えにくくなる「眼瞼下垂(がんけんかすい)」の手術など、これまでこの地域ではなかなか受けられなかった専門治療も強化し、より幅広い目の悩みに応えられるクリニックへと進化させていきたいです。
—最後に、これから開業や医業承継を目指す同業の先生方へメッセージをお願いします。
医療の本質は「仁術」であり、ビジネスとしての利益だけを優先するものではありません。目の前の患者さまを治すために何ができるかを追求し、その結果として地域からの信頼が得られ、経営が安定していくものだと、実際に地域医療に飛び込んで改めて実感しています。 承継・継承には、そのクリニックが持っている独自の文化や地域の空気感があります。そこに自分を柔軟に合わせながら、同時に自分の強みを活かしていく。これから開業を目指す先生方も、ぜひ地域に求められる唯一無二の医療を追求していってほしいと思います。
Profile
院長 豊野 哲也
医療法人社団山田眼科 院長。山形県出身。平成16年に東邦大学医学部を卒業後、東京大学医学部附属病院眼科にて専門研修を修了。その後、東大大学院にて博士号を取得し、米国ジョンズ・ホップキンス大学への留学を経て、東大病院眼科助教、角膜移植部副部長、特任講師、一時は東大眼科学教室の医局長という要職を歴任。令和7年8月より医療法人社団山田眼科の常勤医となり、同年10月に院長に就任。現在は金沢医科大学眼科の非常勤講師も兼任する。専門である角膜疾患や眼瞼下垂手術、そして最先端の白内障手術において豊富な実績を持ち、現在は旭川の地で質の高い眼科医療を地域へ提供している。