「人に感謝されることが、やりがいになる」──横浜駅西口歯科・大橋豪院長が語る、信念ある診療と組織づくり
2025.07.15
消化器とリウマチ、2つの専門を活かす“かかりつけ医”の挑戦
富士森内科クリニック
理事長 清川 重人
東京都八王子市に開業して38年、地域医療の第一線で診療を続けてきた富士森内科クリニックの理事長・清川重人先生。消化器とリウマチ、二つの専門領域を持つ稀有な医師として、そして医師家系の流れを受け継ぐ一人として、地域に根ざした医療を地道に積み重ねてこられました。開業の決断に至るまでの葛藤や、開業後の苦労、今も変わらぬ「患者さん第一」の信念。次世代への継承に向けた取り組みや、変わりゆく医療の中で守り続ける理念について、丁寧に語っていただきました。
—まず、先生が医師を志されたきっかけをお聞かせいただけますか?
一番のきっかけは、父の存在ですね。父は台湾出身の医師で、祖父は台湾で二番目にできた医科大学の創設者のひとりだったんです。周囲は医者ばかりで、兄も医師になりました。そういった環境で育ったこともあり、小さい頃から自然と“自分も医者になるのかな”と考えるようになりました。
—まさに医師一家に育たれたのですね。
ええ。母が日本人で、父は帰化して日本で開業していました。その影響もあって、医療が身近なものでしたね。
—開業を決断された背景を教えていただけますか?
私は大学病院で10年間勤務していました。当時は水島豊教授のもとで新薬開発に携わり、パルクスという薬の研究にも関わりました。その売り上げによって難病センターが作られることになり、私はそこの助教授になる予定だったんです。非常に有名な先生方が集まる場所になると聞いていましたが、自分がその中でやっていけるのかと迷っていた時期に、水島先生から『迷っているなら開業しなさい』と助言をいただきました。その言葉が大きなきっかけとなり、翌年には開業しました。性格的にも思い立ったらすぐなんです。
—先生の専門分野についても教えていただけますか?
私はもともと消化器内科を専門にしていて、内視鏡検査、胃カメラ、大腸カメラなどを中心に取り組んできました。当時は“第一内科”という枠組みの中で、消化器やリウマチ、腎臓、呼吸器などが一緒になっていた時代です。その中で消化器を選び、臨床としての専門性を高めていきました。
—リウマチのご専門もお持ちですよね。
大学院では、たまたま人手が足りなかったリウマチ内科の先生から声がかかり、“臨床はそのままでいいから、大学院ではうちでリウマチをやって学位を取らないか”と言われて。それでリウマチを専門的に学ぶことになりました。臨床では消化器を、大学院ではリウマチをやっていたので、両方の専門を持っているのは今でも珍しいケースだと思います。
—開業されてからこれまでで、特に苦労されたことはありますか?
やはり一番苦労したのは病診連携ですね。私が大学でいたのは川崎の病院でしたが、開業したのは父が残してくれた土地のある八王子。地理的に離れているので、大学時代のつながりを活かすことができず、近隣の病院や大学と一から関係を築いていく必要がありました。紹介先もなかったですし、最初は大変でした。
—患者さんを集めるご苦労はありませんでしたか?
それが不思議と、ありがたいことに開業して数ヶ月で新患が100人近くいらっしゃいました。当時から他所でやっていないスタイルを目指していたので、皆さんに共感いただけたのかなと思います。
—先生のクリニック経営における理念をお聞かせください。
“縁”を大切にしています。数ある医療機関の中から、ここに来ていただけることは奇跡のようなこと。その縁に感謝しながら、丁寧で親切な医療を提供することが大事だと思っています。検査結果も患者さんの大切な財産としてすべてお渡しし、不安があればセカンドオピニオンも受けていただいて構いませんとお伝えしています。
—患者さん第一という姿勢が徹底されていますね。
38年前は“患者ファースト”なんて言葉はなかったですが、私は最初からそれをやってきたつもりです。
—今後のクリニックの展望についてお聞かせください。
ありがたいことに、長男はリウマチ、次男は消化器と、それぞれ私の専門を継いでくれました。今では八王子駅前にリウマチ専門のクリニックを長男が、次男も本院で診療にあたっています。今後は子どもたち中心の体制に移行しながら、西八王子にサテライトクリニックの開設も考えています。
—すでにみなみ野にも分院がありますよね?
はい。みなみ野には高嶋志在先生が勤務しています。もともとうちに順天堂大学から来ていただいていた先生で、“そろそろ開業を”という話があったときに、『うちで暖簾分けのようにやりませんか?』とお声がけして今に至ります。
—地域の患者さんにとっては非常にありがたい体制ですね。
本院は駅から少し離れていますが、免許返納された高齢の方も来やすいよう、送迎バスを2台運行しています。通院が困難な方の自宅まで送迎も行っていて、今後も患者さんにとって通いやすい医療機関を目指しています。
—経営者として、日々どのようなことに向き合われていますか?
一番難しいのは人材です。クリニックは協力してくれるスタッフがいて初めて成り立つもの。だからこそ、人間関係のトラブルや人手不足が起こらないよう、普段から意識して取り組んでいます。
—競合が近くにあるといった悩みもよく聞きますが、その点はいかがですか?
実は今も、うちのクリニックのすぐ前に同じような診療科のクリニックがあります(笑)。看板も向かい合っているような状況です。でも、今は開業規制がないので、そこはもう“気にしても仕方がない”と割り切っています。
—採算度外視で診療されているとも伺いました。
はい。保険診療には限界がありますが、自由診療では患者さんの負担を減らせるよう、できるだけ安く設定しています。お金が残ることよりも、患者さんが残ることのほうが大事だと考えてきました。
—先生にとって、今の“夢”とは何でしょうか?
年齢的にいつまでできるかというのはありますが、“先生に診てもらいたい”と言ってくださる患者さんがいる限りは、診療を続けていきたいと思っています。自分の健康も管理しながら、もう一つ分院を作って、さらに医療を提供していきたいという思いが強いですね。
—最後に、これから開業を目指す若い先生方へメッセージをお願いします。
これからの時代、開業は決して簡単な道ではありません。医療費抑制の流れもありますし、“経営が成り立つか”と心配になる先生も多いでしょう。でも、“医は算術にあらず”という言葉を忘れないでほしい。誠意をもって丁寧な医療を提供すれば、患者さんはまた来てくれます。患者さんが通い続けてくれることこそが、クリニックにとっての一番の財産だと思います。
Profile
理事長 清川 重人
取材を通じて感じたのは、「縁」を何よりも大切にされる清川先生の一貫した姿勢です。目の前の患者さん一人ひとりに誠実に向き合うという姿勢は、38年もの長きにわたり地域に愛されてきた理由そのものだと感じました。これからも患者さんの声に耳を傾け、必要とされる医療を届けたいという熱意は、年齢を重ねてもなお衰えることがありません。地域と共に歩む富士森内科クリニックの今後の展開にも、大きな期待が寄せられます。